第2話  親子の光景



 手が白くなる程強く握りしめ、テーブルに叩きつけるように置くものだから、わずかに残った中身が跳ね、真っ白なクロスにまだら模様をつけた。ついでにぴきっとひびが入る。
 叩きつけたのはグラス、握っているのはヒスイだ。
「ヒスイ……」
 向かい合わせに座り、もうみるからに機嫌の悪いその様子に呆れているのは。
「そんないらいらするなよ」
「だってお父さんっ! むかつくんだもんっ!」
 ヒスイの前に座っているのは父親のメノウ。
「いまに始まったことじゃないだろう? サルファーのお前に対する態度は」
 瓜二つの顔をしたいらいらモード全開の娘を見ると、自分も同じ状況になったらこんなふうになるのかと、出るのはため息ばかり。
「でもむかつくのーっ! 挨拶しないどころか私とは目も合わせないし、視界の端にだって置こうとしないしっ!」
 また始まった、とばかりに、メノウは呆れながらも黙って娘の口上を受け入れる。手元にあるティーカップからあがる果実系の甘い香りが、そんなメノウの気持ちを幾分癒してくれるようだった。
「いっつもお兄ちゃんにべったりだし、私がお兄ちゃんと話してると必ず邪魔しにくるし、今日だって邪魔されてキスもできなかったんだよっ!?」
「お前達はしすぎなんだから、少しぐらい邪魔されてちょうどいいんだよ」
 小声で言ったそんな一言は、興奮したヒスイには決して届くことはなかった。
「お兄ちゃんが絵を誉めるもんだから調子にのるしっ!」
「それは言いがかりだろ」
 あのくらいの年齢の子供だったら、親に誉められれば誰だって嬉しいものである。
「それとねっ!? この間髪とか瞳の色の話題になった時にねっ!? サルファー何て言ったと思うっ!?」
 だんっ! とヒスイの白くて華奢な手が荒々しくテーブルを叩いた。その衝撃で、まだ口のつけられていないヒスイのミルクティーが激しく波打ち、砂糖の入った器がほんの少しだけ浮き上がる。そんな事態を予測していたのであろうメノウは、自分のティーカップを持ち、難なくそれをかわしていた。涼しい顔をし、喉を潤す。
 ヒスイが目を吊り上げて主張するそれは、つい先日のできごと。


──サルファーは綺麗にヒスイの色を受け継いだね──


 と、コハクが微笑みながら言った“声”はにこにこしながら受け取ったのだが、その意味するところはすっぱりきっぱり切り捨てた。


──僕の色はおじいちゃんから受け継いだもので、こいつからじゃない──


 それを聞いたとたん、メノウの爽快な笑い声が響いた。
「何だそれっ! サルファー最高っ!」
「笑い事じゃないよっ! お父さんっ!」
 だがしかし、メノウの笑い声はなかなか止まらず、しまいには腹を抱えて涙がにじむはめとなっていた。
「お父さぁぁぁんっ!」
「ごめんごめん。で? それで終わり?」
 笑いすぎで痛む腹に手を当てながら再び問いかけると、ヒスイは首を横に振り、一番言いたかったことをやっと言えるとばかりに、更に声を張り上げた。
「そんなことがあっても、お兄ちゃんはにこにこしてるし、楽しそうに話しするし、そりゃ、注意はしてくれるけど怒らないし……とにかくっ! お兄ちゃんはサルファーに甘すぎなのっ!!」
 口をついて出てくる事柄は全てコハクがらみ。もう何というか、ただの嫉妬にしか聞こえない。
 一気に言い切ったヒスイの息はとことんあがり、肩が上下するはめとなっている。そんなヒスイに無言で新しいグラスを差出し、メノウは取りあえず落ち着くのを待ってから口を開いた。
「あのな、ヒスイ。コハクはサルファーにだけ甘いわけじゃないだろ?」
 サルファーに対する嫉妬、ということは言わずに話しを進める。
「そっ、それは……そうだけど……」
「俺が見る限り、コハクはお前に一番甘いよ」
 図星をつかれた一言。嬉しいんだか悔しいんだか。怒るべきか、喜ぶべきか。
 ヒスイはぐっと喉をつまらせた。
「あいつは筋金入りの子煩悩だ。それはお前が一番よく知ってるはずだけど?」
 有り余る愛情をコハクから与えれ、育ってきたヒスイなら。
「それに、俺からしてみればお前のその台詞。はっきり言って“棚上げ”」
「……え?」
 棚上げ?
 思わぬメノウの言葉に、ヒスイは長いまつ毛に縁取られた大きな瞳をしばたいた。
「お前だって子供に甘いだろ」
「わ、私はそんな……」
「トパーズ」
 その名にぎくりとする。
「甘くないなんて言ったら罰があたるな」
 またしてもヒスイは見事にメノウに沈黙させられる。トパーズのことを出されたら、もう何も言えやしない。
「サルファーだってお前とコハクの息子なんだから。可愛げのないところなんか、トパーズとそっくりじゃん」
 確かに“可愛げがない”のはそっくりだ。
「それなのに、トパーズは可愛くてサルファーは可愛くない、おかしいよ」
 はっきりとした否定の言葉。それが父親からもたらされたものだからこそ、ヒスイは瞳を伏せ唇をかみながら深くうつむかざるをえなかった。
 サルファーだって自分の息子。なんらかわることのない事実。
 コハク譲りの、うっとりとする程の黄金色の髪の毛に、整いすぎた容姿。黙っていれば本当に絵本の中にいる王子様のようだ。それはヒスイも認める、が。
 口を開けば憎まれ口。向ける表情は人を小馬鹿にしたようなものばかり。笑みは全て勝ち誇った癪にさわる不敵なもの。
 ふつふつと心の奥底から何かがわきあがってくるのをヒスイは感じた。
「ヒスイ?」
 黙りこくる娘を前に、ちょっと言いすぎたかなと思い声をかける。
「……だめ」
「え?」
「だめっ! やっぱりむかつくーっ!」
 やっと顔をあげたヒスイの第一声。メノウはもうお手上げ。だめだこりゃ、と視線をそらした。
「ママ」
 ふと聞こえた声に、ヒスイとメノウは同時に翡翠色の瞳を動かす。
「いい加減愚痴るのやめようよ。せっかくおじいちゃんと一緒なんだから」
 少しだけ余韻を残す感じに発せられる声は、姿なく届けられる。
「そうだな」
 いち早くそれに反応してメノウが立ち上がる。
「スピネルの言う通り、俺は説教するためにお前に会ってるんじゃない」
「お父さん?」
 差し出される手を見つめてから、自分そっくりな顔を見上げる。
「ほら、ママも立って。めったにおじいちゃんと二人きりなんてないんだから、楽しまなきゃ損だよ」
 未だお腹の中に居続けるもう一人の息子・スピネルに諭され、ヒスイは確かにその通りだとうなずき、立ち上がるとメノウの手を取った。
「せっかくのデートだもんね。うん、ありがとう、スピネル」
 ぽんとお腹を撫で、ヒスイはいつもの笑顔で微笑んだ。
「どこ行く? お父さん」
「ヒスイの行きたい所でいいよ」
「んー……スピネルは?」
 ぱっと場所が浮かばず、息子に助け船を頼むが無反応。スピネルは“超”がつく程マイペース。気が向かなければしゃべりもしないし、応えもしない。
「もー。スピネルはいつだってそうなんだから」
「いいじゃん。決まるまでその辺ぶらぶらすれば」
「うん、それもそうだねっ! じゃあ早くいこっ! お土産、何買っていこうかなぁ」
 とびきりの笑顔に、メノウの口元もゆるむ。ヒスイはなんといっても可愛い娘。今は亡き妻・サンゴから譲り受けた銀色の髪が、その弾む足取りに揺れる様はきらきらとまぶしいばかり。楽しげなヒスイの様子も加われば、もうメノウだって大満足。
「……ま、ヒスイとサルファーのことはコハクが何とかするだろ」
 自分はあくまで傍観者と決め込み、メノウはくすくす笑った。
「そういえば、ジストは元気?」
 ぽろっと言ってしまったその一言に、メノウは後悔するはめになる。
「そうっ! 聞いてよお父さんっ! ジストは何度言っても私のこと呼び捨てなのっ! お兄ちゃんのことはちゃんと“父ちゃん”って呼んでるくせに、なんで私のことは“ヒスイ”なのよーっ!」
「……もう今日はとことんつきあうか」
 娘の愚痴に。
 気合いをいれるメノウだった。



「ヒスイならメノウ様と出かけたよ」
「じいちゃんと?」
 意識を取り戻し、ズキズキ痛む胸元をさすりながら、でも心配させまいと平然を装いジストにそう告げる。にこやかなコハクを、きゅるんとした菫色の瞳にて見上げながらジストがおうむ返し。
 そういえば昨日、ちらっとそんなことを言っていたような……。
「それよりジスト。お腹すいてない?」
「……ぺこぺこーっ!」
「はい、じゃあどうぞ」
 そう言いながらコハクが差し出したのは大きなバスケット。ずっしりと重いそれを条件反射で受け取り、手前に置いて止め具に手をかける。何だか宝箱のように思えるそれをわくわくしながら開けると、中身は今のジストにはまさに宝の山だった。
「うっわっ! おいしそーっ!」
 まず目につくのは、きつね色にふっくらと焼き上げられたパン。それにはさまっている、見るからに瑞々しい野菜は、緑、赤、黄と、存分に目を楽しませ、カリッとこんがり焼かれたベーコンや、やわらかそうなチキンは何とも食欲を誘う。
 バスケットいっぱいに入っていたのは、コハク特製のサンドウィッチ。
「食べていいのっ? これ、オレのっ?」
「もちろん。よく噛んで食べるんだよ?」
「うんっ! いただきまーすっ!」
 具だくさんのサンドウィッチを両手で持ち、ジストは一気にかぶりついた。
「おいしいっ! やっぱり……父ちゃんの、作るのが……一番うまいねっ!」
 食べながら話すものだから、とぎれとぎれになってしまうジストの言葉。喉に詰まらせないかと心配し、話すのは食べ終わってからと注意はすれど、全身で語ってくれるジストにそりゃあコハクの表情はゆるみっぱなし。一緒に持ってきておいたちょっと甘めのアイスティーをグラスに注ぎながら、可愛い息子の様子を眺めていた。
 もう一人の息子は、兄弟がものすごーくおいしそうに食べている様子に釘づけになる。もとよりコハクの作るもの全てが絶品ということは知っているから余計に、だ。
「……ねぇ、僕にもちょーだい」
 そんなサルファーの一言に、ジストは電光石火のごとくバスケットにおおいかぶさる。
「だめっ! これは父ちゃんがオレのために作ってくれたものだから、全部オレんだいっ!」
「いっぱいあるんだから、一コくらいくれたっていいじゃんかっ!」
 コハクをはさんで左右に座る二人。納得がいかないサルファーは、コハクの足に乗り掛かるようにして手をのばす。
「サルファーはもう朝ご飯食べたんだろっ? オレはまだなのっ!」
「でもサンドウィッチは食べてないし、量だってその半分くらいだもんっ!」
「そんなの理由になんないもんっ!」
「何だよっ! ジストのケチっ! バカっ!」


 ぱんっ!


 突如鳴り響いた甲高い音に、ジストとサルファーがぴたりと止まる。そしてそろーりと恐る恐る見上げると。
 そこにあったのは、コハクの笑顔。鳴った音は手を打ち鳴らしたもの。
「ケンカしない。ご飯は仲良く」
「だ、だって父ちゃん、サルファーが……」
「いっぱいあるでしょ? 一つサルファーにあげて」
「えぇーっ!?」
 不満大爆発。どうしても納得いかないジストは、唇を尖らせ中々バスケットを差し出そうとしない。その様子に笑顔のままため息をつくと、コハクはジストの耳元に顔をよせる。
「それ全部食べたら、お昼ご飯食べられなくなるよ」
 こそっと耳打ちされた言葉に、ジストはぱっと顔をあげた。
 バスケットいっぱいのサンドウィッチを一人でたべれば、お腹いっぱいになる。寝坊した自分は朝ご飯と昼ご飯の間隔が短い。昼ご飯も当然コハクの作るおいしいご飯。
 それを食べ逃すかもしれない。一大事だ。
「……はいっ!」
 先程とはうってかわって、ジストはバスケットをサルファーに差し出す。
「一コあげるっ!」
「ホントっ!? やったっ!」
 早速サンドウィッチを一つ取り、にこにこしながら口へと運ぼうとするサルファーの手を、大きなコハクの手が掴んだ。
「父さん?」
「食べる前に、ジストに言うことあるでしょ?」
「……あっ! ジストありがとっ!」
「あと」
 腕を掴んでいた手が、今度はサルファーの頭にぽんっと乗せられる。
「頭ごなしに“バカ”なんて言っちゃいけない。分かるよね?」
「う、うん……ごめんなさい。ジスト、ごめんね……?」
「んーん、オレも欲張っちゃったし、ごめんね?」
 えへへ、と二人して笑い、そして同時にかぶりつく。仲のいいところを見せる二人に、コハクは笑みを深くした。





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