街外れ。宿屋の一室。

軽いノックの後、静かに扉が開き、あどけない少年の声が響いた。
「お待たせ。それから、ごめん」
「・・・なぜ謝る」
対する低音はオニキスだ。
「ママに、似てるんだ」
「・・・そうか」

そこで僅かな沈黙。

「・・・顔を見せてみろ」
「うん」
深くフードを被り、俯いていたスピネルが顔を上げた。
両手でフードの端を掴み、初お披露目・・・
「・・・・・・」
自分と同じ黒髪に、愛する女と同じ翡翠の瞳。
確かにそれは罪なほど。
バランス良く混ざり合った遺伝子。
スピネルの姿に、瞬きさえ忘れて見入るオニキス。
「・・・ね?これじゃ、溺愛しちゃうでしょ?」
「・・・そうかもしれないな」
「でもボク男だから」
「わかっている」
というか、慣れている。オチのある展開に。
やはりここは苦笑い。
むしろ男で良かったと思う。
自分の血を継いでいるのだから、どれほどヒスイに似ていようと、娘は娘でしかなく、また、娘を他の男にくれてやる喪失感を味わうのも、もうしばらく遠慮したい。


「いこうよ。ボクに“世界”を教えて?」


はるか下からオニキスを見上げる瞳は、愛されていることをすでにちゃんと知っていて、その挑発的な瞬きは、いかにも一癖ありそうだ。
きっとまた振り回されるのだろうと思いながらも、自分へと伸ばされた小さな手に、自然と笑みが溢れる。


共に踏み出す世界は、新しいものであろう。


子供達が与えてくれるもの。
それは・・・“希望”。
生きる力だ。
新しい命を腕に抱けば、窓からの景色さえ、いつもと違って見えるのだから。
果てしない刻を生きるオレ達には、この“希望”が必要だ。



(ヒスイ・・・)
その名はいつも希望と共に。
こんなになってもまだ、胸を熱くする。



「・・・よし、行くか」
「あ、その前に一つお願い」
耳貸して。と、スピネルがオニキスの服を引っ張った。
ごにょごにょごにょ・・・
「・・・なん・・・だと・・・」
耳元でヒスイ並に唐突な事を言い出すスピネル。
オニキスは呆気に取られた。
ここまで無茶を言う子供を育てるのは初めてだ。
「だからまずは洋服屋さんに連れてって。ボクにワンピースを買ってね」
・・・どうもこういう図々しいタイプに弱い。
「・・・わかった。連れて行く」
オニキスがそう答えると、スピネルは無邪気に笑って喜んだ。
「あ・・・一番大切なこと言うの忘れてた」
「・・・今度は何だ」



『ありがと。ボクに体をくれて』





それは、ある休日のこと。

「何やってるの???」
早朝にも関わらず、リビングには男性陣が全員集合していた。
遅れて現れたヒスイがきょとんとした顔で尋ねる。
妙な雰囲気なのだ。
折り畳みテーブルを広げて、コハク、トパーズ、ジスト、サルファー。
皆一様に下を向いて、ペンを動かしていた。


「え?なに?同人誌即売会??」
「うん。そこで自作の本を売るんだけど、原稿が間に合わないらしいんだ」
それでサルファーの手伝いをしているのだと、コハクがヒスイに説明。
サルファーの趣味はお絵描きに留まらず、近頃急速に発展してきた“漫画”に傾倒していた。
将来の夢は漫画家。実現目指して意欲的な活動を続けている。


「オレこういうの苦手〜・・・はみ出しちゃうよぉ〜・・・」


ジストはペンを持つ手がブルブル震えている。
「大丈夫。失敗しても僕が修正するから」と、手先の器用なコハクがフォロー。
「じゃあ、私も・・・」
家族の輪に加わりたい。
ヒスイ自ら手伝いを買って出る・・・が。


「お前はいい。どうせすぐ居眠りする」


原稿から視線を上げずにサルファーが即答。
「父さんは絵が凄く上手いし、兄さんは何日も徹夜できるから戦力になるし。それに比べてお前なんか・・・」・・・のところで、ヒスイの声が被る。
「戦力って・・・何の戦力よ・・・戦争じゃあるまいし」
「戦争なんだよ。これは。男のロマンがわかんないヤツは消えろ」
「な・・・バッカじゃないの!?」
(男の浪漫が漫画?冗談じゃないわ)
「あっ!ヒスイっ!!」
鼻息荒く身を翻すヒスイの後を心配顔のジストが追う。
「待て」
そこで襟首を掴まれる。
サルファーにだ。
「お前は行くな。ベタぐらい塗れるだろ」
(サルファー・・・コエぇ〜・・・)
一般人には理解不能なオーラが出ている。
「大丈夫。ヒスイは僕に任せ・・・ん?」
いそいそと立ち上がるコハクのシャツを掴んだのは勿論サルファー。
「待って。父さんはもっと行かないで」
「え・・・でも・・・ヒスイが・・・」
「今、それどころじゃない」
ジスト&コハクによるヒスイコールはことごとく無視。
アシスタントは絶対に逃すまいと、目を光らせている。


カリカリカリ・・・


「・・・・・・」
(なんで男4人で漫画描いてるんだ・・・おかしいぞ・・・この展開・・・)
コハク、心の声。
息子の頼みとはいえ、本音を言えば、ヒスイと一緒にいるほうがいい。
(ヒスイ・・・どうしてるかな・・・)
仲間はずれにされたのだ。機嫌が悪いに決まっている。
ふと、トパーズと目が合った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
同じ事を企む者同士、視線で牽制。均衡が続く・・・が。
「!?兄さん、どこ行くの」


「・・・コーヒー」


眠気覚ましであることを強調し、トパーズが立ち上がる。
確かにまだ先は長い。
サルファーは止めなかった。
(!?上手い嘘を!!これはマズい!!先に抜けられる!!)
コハクが焦ったところでもう遅い。完全に出し抜かれてしまった。




サルファーの束縛を体良く逃れたトパーズは、素早くリビングから姿を消した。
行き先は、決まっている。
(・・・あの二人もいい加減、親離れ、子離れしないしなぁ・・・)
“親子”に分類できるかどうかさえ曖昧なまま、10年。
(ヒスイが“親子”だって言い張る手前、あんまりしつこく注意もできないし・・・)
ジレンマは相変わらずなのだ。
「まぁ・・・一緒に生活している以上、信じるしかないんだけどね」




「も〜!!!サルファー嫌いっ!!!」
サルファーにみんな取られてしまった。
「何なのよ!あのオタク男っ!!」
裏庭に飛び出したヒスイが喚く。
「・・・つまんないの。お父さんのとこでも行こうかな・・・」
「ヒスイ」
「あれ?トパーズ?」
サルファーの魔の手からどうやって抜け出してきたのか。
ヒスイは露骨に驚いた表情でトパーズを見つめた。

“ついてこい”

トパーズが無言のサインを送る。
「?」
ててて、と小走りで後に続くヒスイ。
ヒスイの歩調は知っている。けれどトパーズはわざと、早く、歩く。
するとヒスイが必死になって追いかけてくる。

それが何とも、嬉しい。

「はぁ。はぁ。どこいくの?」
やっとの思いで追いついたヒスイが息を弾ませ、覗き込む。
「・・・・・・」
犬の散歩に似ている、と思う。
ヒスイは言うなれば、尻尾を振って寄ってくる子犬のようで。
(・・・飼い主はアイツだが)




辿り着いた先は、博物館。
トパーズの魔法陣で一気に移動したので、どこの国の博物館かヒスイにはわからない。
そこでは、期間限定で天然石の展示会が行われていた。
「わぁっ・・・すごいね」
加工されたアクセサリーの類もたくさん陳列されていて、そういったものにあまり興味がないヒスイでも、石の効果を見比べてはしゃいでいた。
「ほら、これなんか・・・」
「・・・買ってやる」
「えっ!?」
トパーズが優しい。いつもの何割増しだろう。
(どうしちゃったの!?まさか!!)
警戒をしないでもないが・・・
(徹夜し過ぎて頭が変になってるんじゃ・・・きっとそうよ!!)
一つの結論。都合良く解釈するのは得意なのだ。
(折角買ってくれるって言うんだから、買って貰わなきゃソンよね!)


「それなら、こっちがいい」

と、ヒスイが持ってきたのは博物館のお土産グッズ。
「これはお兄ちゃんの分でしょ。で、これがジストの分。サルファーは・・・これでいいや。スピネルは何がいい?って聞いてもどうせ答えてくれないよね。じゃあ、これっ!」
一人でそんなことを言いながら、会計係のトパーズに次々と持たせる。
「・・・・・・」
自分のものではなく、当たり前のように子供達のものを選ぶようになった。
ヒスイ自身、そのことには気付いていない。
「ジストはこういうの大好きだから、きっと喜ぶよ!」



「ありがとうございました〜!!」
元気の良い店員の声に送られ、二人は博物館の売店を後にした。
トパーズに荷物を持たせたまま、館内を一巡り。
外に出る頃には日も暮れかかっていた。
「すっかり遅くなっちゃったね〜」
ヒスイが早足で帰宅を促す。
「でも、ありがと」
大満足。ホクホク顔。
見上げた瞬間に・・・キス。上からトパーズの唇が重なった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・私達、恋人同士には見えないね」
そこは、よくある恋人達のための公園。
カップルが至る所でイチャイチャとしている中、キスを終えたヒスイが言った。
「だってこんなに“同じ”なんだもん」
髪と瞳。銀特有の空気さえ共有して。
誰がどう見ても血縁にしか見えない二人。
ヒスイは、それが嬉しくて、愛しくて、子離れどころの話じゃない。
何ができる訳でもないのに、トパーズの世話を焼きたがるのだ。
“贔屓だ”と、何度注意されても治らない、悪癖。
「さ、かえろ」
いいストレス解消になったと笑って、ヒスイが先を歩きだす。
けれども、トパーズは立ち止まったまま、動かなかった。
「・・・・・・」
「んっ?」
腕を掴んで、引き寄せて。
耳を噛むのは・・・甘えたい時。
(かっ・・・可愛いぃぃ〜!!!)
サルファーに煮え湯を飲まされた後なので、尚更そう思ってしまう。
(お兄ちゃん風に言うなら“萌え”よね!!)
「う〜ん・・・じゃあ、もうちょっとだけ、ここにいる?」
「・・・そうする」



「兄さんっ!!遅かったったじゃないか!!今まで何して・・・」
トパーズの隣に、ヒスイ。
と、言うことは。
「お前・・・何してんだよ」
サルファーは物凄い剣幕でヒスイを睨み付けた。
「何って・・・博物館に・・・」
「どこまでヒトの邪魔すれば気が済むんだよ!!」
アシスタントを奪われたくやしさが込み上げる。
しかし、どんなに怒ったところで、後の祭りだった。
サルファーにコキ使われたジストは抜け殻状態で。
コハクは夕飯の準備で席を立ったところだった。
サルファーの言う戦争は終結を見せたように思われたが、まさにここからが“決別”へのカウントダウンだった。







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