裏庭。
「んじゃ、俺コハク探してくるわ」
メノウと裏庭で別れた直後のことだった。
「・・・・・・」
(悪魔の気配・・・)
“悪魔”と言えば半吸血鬼のヒスイもそうだが、近頃はその括りも変わり、一般には“害をなすもの”の意で使われる。
トパーズが感じたのは、その後者である悪魔。
ヒスイが取引のために喚びだした悪魔だ。
「あいつ・・・何かしでかしたな」
感傷に浸る間もない。
軽く舌打ちをして、トパーズは屋敷内へと引き返した。
「・・・ヒスイ」
トパーズより先に、姿を現したのはオニキス。
心臓に違和感があったのはほんの一瞬だった。
しかし、どうにもならない胸騒ぎがして、すぐさまヒスイの元へ馳せ参じた。
更に、数秒の差でトパーズが合流。
「「お前・・・何をした?」」
「えっと・・・その・・・」
二人に詰め寄られたヒスイは説明に困り、しどろもどろ・・・
「・・・・・・」
トパーズはヒスイの脇を抜け、一枚の羊皮紙を拾い上げた。
「・・・これは何だ」
一旦オニキスの元まで持ち帰り、二人で目を通す・・・が・・・
紙面に“子宮”の文字を見た途端、トパーズとオニキスの表情が同時に凍りつく。
かつてない硬度で。
「・・・オニキスの心臓が欲しくて・・・取引したの」
「その代償に・・・子宮を・・・」
強張った顔のまま、オニキスがヒスイの肩を掴んだ。
「うん。あと、“契りの制約”をつけて。その・・・注意事項を読み飛ばしちゃって・・・私もまさか内臓持っていかれるとは思ってなくて。だからその・・・」
苦しいヒスイの言い訳に、益々血の気が引く二人。
「スピネルがね・・・」
「スピネルは問題ない」
そう答えたトパーズの声には怒りが籠もり。
「契約破棄できるか?」
オニキスの問いかけに頷く。
「父上、結界を」
「わかった」
「来い」
乱暴に手首を掴むトパーズ。
「ちょ・・・何す・・・」
ヒスイを魔法陣に放り込んで。
『お前は史上最高の馬鹿だ』
「な・・・」
「・・・取引契約を破棄する」
「やめて!スピネルが無事ならいいよっ!!せっかくの心臓が・・・」
「ヒスイ!」
オニキスの声も怒りに震えていた。
「話は後だ。とにかく今はそこから動くな」
一方でトパーズが呪文を唱えている。
聞いたこともない言葉の羅列。
暖炉に再び火が灯り・・・くらっ。
急に意識が遠のく。
(これで・・・みんなうまくいくと思ったのに・・・)
取引契約の破棄は本来不可能とされていた。
「・・・・・・」
(コイツらとは相性が悪い・・・)
代償取引を行う悪魔は神の創造物ではない。
戦って倒せば反故になる類でもなかった。
(能力をすべて解放しても、取り戻せるのは・・・8割)
取引で得た“心臓”を返還し、“子宮”を取り戻す。
(それは可能だが・・・)
ヒスイの胸元に視線を落とす。
歪なハートの紋様が右胸上に。
(残りの2割は他者が引き受けるしかない)
「・・・・・・」
ヒスイの体に刻まれた新しい紋様に左手を翳す。
すると紋様は一瞬にしてヒスイの肌から・・・消えた。
「ん・・・あれ??」
気付けばそこは自分のベッド。
バッ!と飛び起き状況確認。
「紋様が・・・ない・・・」
鏡を覗き込んだ後、自ら身体チェックをしたが何処にもない。
「・・・この頭はカラか?ん?」
確認を終えたところでトパーズに捉まり、ペシッ!と額を叩かれた。
「イタッ!」
「お前には学習能力がないのか。バカめ」
ペシ!ペシ!ペシッ!
「ご、ごめんってばっ!!」
「・・・こんなことをしても、誰一人喜ばない。父上も、アイツもだ」
何故もっと自分を大切にできないのか。
愛されているからこそ、及ぼす影響は多大なものであるというのに。
(・・・気付け。バカ)
パシッ!パシ!パシ!
「イタイ〜!イタイよ〜!!」
躾を受ける子供のようにじたばたとヒスイがもがく。
「・・・謝ってこい」
「うん・・・」
「・・・・・・」
ヒスイをオニキスの元へ向かわせ、まず一服。
煙を吐きながら、左手をそっと開く。
トパーズの手の平には、ハートの紋様。
「・・・世話の焼ける女」
とぼとぼと、足取り重く、ヒスイが歩く。
「お兄ちゃんは怒らせちゃうし。トパーズには怒られちゃうし」
何をやってもうまくいかない。
良かれと思ってしたことがことごとく裏目に出ている気がする。
「オニキスも・・・怒ってるかな・・・」
屋敷の裏庭。
「オニキス・・・あの・・・」
「・・・・・・」
怒っている。
ピリピリとした空気が伝わってきた。
「・・・心臓が欲しいなどと、オレが、いつ言った?」
「そ、それは・・・」
最も尊いものを。
最も必要ないものの代償にされた。
大事に至らなかったとはいえ、オニキスの怒り悲しみは深く。
その悲愴な面持ちに、ヒスイも目を逸らす。
「なぜこんな事を・・・」
「だって・・・他にしてあげられることないじゃない」
ヒスイの声が切なく響いて、オニキスは口を閉ざした。
ただ、愛しているだけで。
こんな風に傷つけてしまうのなら。
(傍にいる意味がない)
「・・・もうお前には会わない。二度とだ。オレの事は死んだと思え」
「な・・・」
オニキスの言い草にヒスイがカチン。
「そんな言い方しなくたって、邪魔なんかしないわよっ!恋人とどこでも好きなトコ行けばっ!?」
突如、状況反転。
「・・・恋人・・・だと?」
(またおかしな事を・・・いや)
すぐに思い当たった。
スピネルだ。
説明もしてやらずに。
呼びかけにも応じず。
これでは・・・ヒスイが誤解するのも無理はない。
(悪いのは・・・オレだ)
身勝手な感情をヒスイに押し付けて。
重荷にならないようにと、連絡を絶てばこの様だ。
はぁ〜・・・っ。
ヒスイが相手だとどうしても大人になりきれない。
溜息ばかりが重なって。
「・・・すまん」
とりあえず潔く謝る。
「恋人などではない。あいつは・・・」
「呼んだ?」
近くで様子を伺っていたのだろう。
オニキスの台詞に合わせて、スピネル登場。
くすくすと上目遣いに笑って、オニキスの腰に両腕を絡ませた。
「・・・・・・」
じ〜っと。ヒスイが目つきを悪くして・・・
「・・・どこかで見た顔ね・・・」と、唸る。
「くすくす・・・相変わらずボケてるね、ママ」
「ママ?」
「ボクのこと、パパに誤魔化されたまんまでしょ?」
「ま・・・まさか・・・スピネル!?」
「うん♪」
そこで改めてオニキスが紹介。
「お前の・・・息子だ」
「えぇぇ〜っ!?な・・・なんで??」
どこまで遡っても、産んだ記憶がない。
しかもなぜ黒髪なのか。スカートを履いているのも気になる。
「その髪・・・染めてるの?」
「ううん。自前」
スピネルは外ハネ気味の黒髪をひとつまみして、再び笑った。
「自前・・・って・・・え?え?」
はぁ〜っ・・・。
ついにこの時がきた。
(ヒスイにきちんと説明してやらねば・・・)
とはいえ、胸を張って言える事でもなく。
正直、かなり説明しにくい。
「ボクが話すよ」
今こそ自分の出番とばかりに。
スピネルは、ちらっとオニキスを見て(ボクに任せて)と、サインを送った。
(頼んだぞ)と、オニキスが微かに頷く。
「・・・という訳で、オニキスの遺伝子が欲しくて。ボクからお願いしたの」
「うん。それはわかった。けど・・・遺伝子って言われても・・・」
遺伝子と聞いて想像するのは順当に・・・アレだ。
「私・・・全然身に覚えがナイんだけど・・・」
ダラダラと汗を掻いて、ヒスイがオニキスを見上げる。
「・・・すると思うか?」
「・・・思わない」
「ならば、それ以上は聞くな。深く追及されたくない」
少し照れた様子で、バツが悪そうに。
「そうそう。今は魔法医学が発展してるから」
スピネルが茶化して。
「・・・そういう事だ」
ムスッとするオニキス。
「あ〜・・・うん」
察したヒスイも言葉を濁す。
「・・・・・・」
「そうね!うんっ!そういう時代だもんねっ!」
わざとらしいヒスイのリアクション。
「・・・・・・」
「お・・・おつかれさま・・・」
「いや・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「あ、じゃあ、ボクはこれで。兄貴に挨拶でもしてくるよ」
スピネルが体良く繕って逃げる。
「どうぞごゆっくり」と、手を振って。
「・・・勝手な事をして、すまなかった」
事後承諾となってしまったことに深く謝罪。
「ううん。私こそ、確かめもせずに“恋人”だって思い込んじゃって・・・」
ヒスイも自分の非を認め、素直に謝った。
「恋人ではないが・・・今はあいつが傍にいてくれる」
「うん・・・」
オニキスとヒスイ。仲良く並んでスピネルを見送った。
「・・・お前の内臓を引き替えにしてまで欲しいものなどない」
しばらくの沈黙を経て、オニキスが口を開いた。
たったひとつ。二人を繋ぐもの。
むしろこの不自由こそがオニキスにとっての贅沢なのだ。
「心臓など・・・くれてやると言った」
それは、眷族として2度目の生を受けた時のこと。
「覚えているか」
「・・・うん」
大きな手で、そっとヒスイの頬を撫でて。
「その気持ちは今も変わらない」
「・・・だけど私、お兄ちゃんが一番好き」
「わかっている」
あっさりと、余裕たっぷりに受け流されて、焦るヒスイ。
「次はお父さんとトパーズと子供達だしっ!」
「ああ、それでいい」と、オニキスが笑って。
「何番目でもいい。お前の“世界”に留まることができれば」
「・・・何もしてあげられないよ?」
「必要ない。もう充分だ」
「じゃあ・・・オニキスは欠番にしとく」
「ああ、そうしてくれ」
願わくば、永久欠番。
「オレは・・・コハクとは別の意味で変態なのかもしれん」
「ぷっ・・・何それ」
二人、声をあげて笑って。
「・・・お前の血が飲みたい」
「うん・・・いいよ」
サクッと微かな音をたてて、オニキスの牙が首筋に食い込む。
(オニキスの気持ちも考えないで、あんなことしちゃって・・・)
「・・・ごめん」
「何がだ?」
「ううん」
軽く頭を左右に振って、見上げた夜空に月と星。
「・・・どうしたら、みんなが笑って暮らせるのかなって」
「簡単なことだ」
「?」
「お前が、コハクを見つけるだけでいい」
牙を引き、ヒスイの耳元で、コハクの居場所を明かすオニキス。
「オニキス・・・ありがと・・・」
迷いのない抱擁で親愛の情を示すヒスイ。
オニキスは瞳を伏せ、躊躇いがちに抱き返した。
「この恩はいつか・・・」
「いや、いい。また今回のような事になったらかなわん。望みがあれば自分から言う。その時応えてくれればいい」
頼むから余計なことはしないでくれ。
心の底から、そう懇願する。
「そうしてくれる?見当違いなコトすると、またトパーズに怒られそうだし」
叩かれた額がまだ熱を持っている。
「トパーズって結構躾が厳しいのよね・・・」
親子逆転現象の報告にオニキスが笑って。ヒスイも笑う。
(トパーズにも後でお礼言わなきゃ)
とにかくまずは・・・
“お兄ちゃん”
おにいちゃんに会える。
そうしたらちゃんと謝って。
許してもらえたら、いっぱいキスして、えっちして・・・
おにいちゃん・・・
(・・・あれ?なんか急に眠く・・・)
「・・・ヒスイ?」
「・・・・・・」
オニキスに腕を回したまま、ぶら下がるようにして眠っているヒスイ。
(眠りの魔法・・・?スピネルか?)
Zzzz・・・
ヒスイがしがみついて離れないので、腕に抱いたまま、その場に腰を下ろす。
真冬の夜。
普通なら凍える寒さだというのに、屋敷のある村全体が暖かい。
これもすべてメノウの魔法によるものだった。
「むにゃぁ〜・・・」
ヨダレを垂らす姿さえ愛しくて。
指で拭い、無意識に自分の口元へと運ぶ・・・
(む・・・これはもしや変態行為か?)
途中で我に返り、凹む。
ヒスイと過ごす時間はそんな事の繰り返しで。
自分の未熟さを思い知らされてばかりいる。
「・・・・・・」
唇に唇。
自分には許されていないとわかっていても、視線が囚われる。
奪うつもりはない。
けれども・・・触れたい。
そんなことを考えながら、ふっくらとしたヒスイの唇に指を置いたところで・・・
パクッ。
「・・・・・・」
寝ぼけたヒスイが指を咥えて。
にへっと笑った。
「・・・・・・」
途端に優しい気持ちでいっぱいになり、微笑みが浮かぶ。
(そういえば、間近で顔を見るのも久しぶりだな・・・)
ひとりなら、上を向いて、星を眺めて。
ふたりなら、下を向いて、愛しい者を見つめていよう。
「ヒスイ・・・」
くすくす・・・
「まぁ・・・たまにはご褒美もないとね」
二人の様子を2階の窓から見守るスピネル。
これ以上野暮なことはすまいと、窓辺から離れる。
「それにしても背伸びてきちゃったな〜・・・」
日々目の当たりにする成長は少年の悩みでもあった。
(早くしないと・・・)
「ママに似てるのはたぶん今のうちだけだろうし」
年頃になればむしろオニキスに似てくるであろう予感。
一刻も早く黙示録を見つけて、目指すは女の園。女子校だ。
「よ〜し。頑張ろっと」
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