「ちょっと・・・っ、待って・・・」
ヒスイはドレスの裾を両手で掴んで、できる限りのスピードでオニキスの後を追った。
思っていた以上にオニキスとの距離はひらいていた。
「一体どこに行くの?」
ヒスイの言葉は独り言になってしまった。
オニキスは今にも走り出しそうな勢いの早足で歩き、ヒスイもその後を息を切らせながら追った。
行き先は全く予測できない・・・。
オニキスは庭へ出た。そのまま屋敷の壁伝いに歩き、角を曲がった。
「もう少しで・・・追いつくのに・・・」
はぁ、はぁと息を吐きながら同じように角を曲がろうとしたそのとき・・・
「見ぃ〜つけた。」
「!!?」
ヒスイは後ろから何者かに羽交い絞めされた。
突然の出来事にヒスイは言葉を発することもできなかった。
「一緒にきてもらうよ。お姫さん」
甘い響きの女の声・・・。
女はヒスイの耳元で短い呪文を唱えた。
「お・・・にぃちゃ・・・ん・・・」
ヒスイは気を失い、どっさりと倒れた。
「・・・遅・・・かった・・・」
コハクは愕然とした。屋敷の宝石は一つ残らず盗まれ、ヒスイも攫われた。
コハクから笑顔が消えた。
「ヒスイにもしものことがあったら・・・許さない・・・」
コハクは怒りのオーラを身に纏い、上着を脱ぎ捨てた。
タイを外し首元を緩めると、シャツの腕をめくりながらヒスイが消えたあたりを睨んだ。
「・・・追う気か?」
オニキスがどこからともなく現れ、コハクに声をかけた。
「当然です。あ!丁度良かった。何か武器になるもの持ってませんか?」
オニキスは黙って剣を差し出した。
「しばらくお借りしますね」
コハクはそう言いながら、すばやく自分の髪を束ねると剣を持って走り出した。
「・・・オレも行こう。奴らのアジトなら目星がついている」
「・・・助かります」
コハクはオニキスに先頭を譲り、後について走った。
「・・・ここ、どこ??」
ヒスイはびっくりして目を丸くした。
見た事も無い風景・・・どうやら今は使われていない古い城の一室のようだ。
黴臭い臭いが立ちこめている。まるで予測不可能な事態・・・。
ヒスイは両手両足をロープでしばられ、湿っぽいベッドの上に転がされていた。
拉致されてからだいぶ時間が経っているようだ。ヒスイは子供の姿に戻っていた。
(・・・一体、何が起こったっていうの?)
「目が覚めたかい?お姫さん」
勢いよく扉が開いた。
(あの女の声だ!!)
ヒスイは目を凝らして女を見た。
「え・・・?あれ?」
驚いたことにその女はヒスイと同じ位の姿をしていた。つまり、子供である。
つり眼が印象的なボーイッシュなタイプだった。
「あなた・・・誰?」
「アタシかい?アタシの名はカーネリアン」
カーネリアンと名乗った少女はにっと笑った。
「まさかこの町でヴァンパイア・プリンセスに会えるとはね。あいつも知っていたなら教えてくれりゃいいものを・・・」
カーネリアンはブツブツ言いながらヒスイに近づいてきた。
ヒスイはなんとかロープを外そうともがいたが、動けば動く程食い込み、ヒスイを締め上げた。
「まあ、そう暴れるなって。私は敵じゃない。もっとも、味方でもないけどね」
「一体、何の事を言っているの?ヴァンパイア・プリンセスって・・・何・・・?」
「アンタのことだよ」
「はぁ〜?」
ヒスイは自分と同じ年頃の相手だからか、恐怖を感じてはいないようで、カーネリアンの言葉に間の抜けた声を出した。
「アンタ・・・まさかとは思うけど・・・自分が“何”なのか知らないなんてこと、ないよな?」
ヒスイの驚きぶりを見てカーネリアンも驚いた。
「・・・どういう、意味?」
ヒスイは自分が縛られていることも忘れて、カーネリアンの話に耳を傾けた。
「あはは!アンタほんとにおめでたいねぇ〜!やっぱりプリンセスの名は伊達じゃないか」
カーネリアンは子供とは思えない程、豪快に笑った。
「ヴァンパイア・プリンセス・・・『お姫様のように恵まれた吸血鬼』さ。あたしらヴァンピールの間では有名なハナシ」
「ヴァン・・・ピール・・・??」
ヒスイは本当にわけがわからないという顔をした。困惑するヒスイの様子をカーネリアンは呆れ果てた表情で見ていた。
「信じらんない・・・アンタ、今までどうやって生きてきたのさ?」
「どうやって・・・って、お兄ちゃんが・・・今まで育ててくれたけど・・・?」
「お兄ちゃん?」
「そうよ」
「・・・は〜ん。成る程」
カーネリアンは腕を組んで嘲笑した。
「さすがに人類最強のエクソシスト殿はやることが違う」
「悪魔祓い?お父さんの事・・・?」
ヒスイの言葉を無視してカーネリアンは続けた。
「だけど、それも今日までだ。あんた、これを疑問に思ったことはないか?」
カーネリアンはそう言ってヒスイの髪を強く引っ張った。
「それは・・・」
ヒスイは口を噤んだ。
「銀の髪はね、人ならざる者の証なのさ」
「人・・・ならざる者・・・」
ヒスイはだんだんカーネリアンの言わんとすることがわかってきた。
「自分は人間じゃありません、って周囲に知らせてるようなもんさ」
「・・・私・・・人間じゃ、ないんだ・・・?」
ヒスイの胸がドクンと鳴った。兄はこのことを知っているのだろうか。
知らないはずがない。兄妹なのだから・・・ヒスイが人ならざる者だとすればコハクも同じはずなのだ。
「そうだよ。アンタは人間じゃない。私と同じ半吸血鬼・・・ヴァンピールだよ」
「・・・・・・」
ヒスイは押し黙った。驚きというより諦めに似た気持ちだった。
「アンタ・・・両親の話は・・・」
ヒスイは首を横に振った。
カーネリアンはやれやれとため息をつき、ヒスイの足の縄を解いた。
「逃げるんじゃないよ」
ヒスイはコクンと頷き、小さな声で言った。
「お父さんが悪魔祓いの仕事をしていたっていうのは聞いた事ある・・・」
「・・・メノウは人間離れした力を持っていたが、れっきとした人間だ」
「じゃあ、お母さんが・・・」
「そうだ。吸血鬼だ。銀の髪の」
「無茶苦茶だよな。悪魔祓いが悪魔を妻に迎えるなんてさ」
カーネリアンは冗談っぽく言って笑った。
「・・・基本的にヴァンピールは人間に近い。炎天下じゃなけれは昼間も普通に動けるし、見た目は人間とそう変わらない。けれど・・・生きていくには・・・血がいる」
「・・・・・・」
「だけどアンタは、同じヴァンピールでありながら我々とは違う」
「・・・・・・」
「その銀の髪・・・、おそらくは母親に近い。本来なら昼間出歩くのもつらいはずだし、血に対する欲求も強いはずだ」
「でも私、普通に生活してる。血なんて飲んだことないし・・・」
ヒスイはカーネリアンが言った事を真実として受け入れてはいたものの、それに対する実感がまるでなかった。
「そこが、ヴァンパイア・プリンセスと呼ばれる由縁だな。アンタの父親メノウが、一体あんたに何をしたか。私達はそれが知りたい」
カーネリアンはじっとヒスイを見つめた。
「私・・・知らない・・・」
「だろうね。メノウの目的はあんたが普通の人間として生活することだ。自分の正体さえ知らずに、ね・・・。だが、無理矢理でも協力してもらうよ」
カーネリアンは強く力を込めて言った。
「・・・何をすればいいの?」
「いい心がけだ」
「早く開放されたいだけよ。お兄ちゃんも心配してるだろうし・・・」
ヒスイはそう言ったものの、何事もなかったかのようにコハクの元へ戻れる自信はなかった。
「・・・とりあえず、服、脱ぎな」
「え?そんな、いきなり・・・」
「子供のくせに恥ずかしいも何もあるか」
「自分だって子供のくせに〜っ!!」
「アタシ?アタシか?ホラ」
カーネリアンの体が一瞬強く光った。ヒスイはあまりの眩しさに目をつぶった。
光のおさまった気配がしておそるおそる目を開くと、なんとそこには子供のカーネリアンではなく、20歳のヒスイ以上になまめかしい姿をした大人のカーネリアンの姿があった。
「小娘が、生意気いうんじゃないよ。燃費がいいから子供の姿をしているだけさ!」
カーネリアンは軽々とヒスイをベットに押し倒した。
ヒスイは足をばたばたさせて抵抗したが、完全に大人と子供だった。手も足もでない。
今やゆるゆるになった若草色のドレスは脱がされなくても自然にずり落ちてきそな感じだったが、カーネリアンはそれを力任せに剥ぎ取った。
「いやぁ、お兄ちゃん、助けて・・・」
「変な声だすんじゃないよ・・・。女同士なんだからいいだろ!」
カーネリアンは半分自棄になって言った。
「・・・あった」
「な、なに?」
「これさ」
カーネリアンはヒスイのおなかのあたりを指さした。
ヒスイにはへその右側に妙な紋様のようなものがあった。
それは目を凝らしてみると薔薇と茨の絵のようにも見えた。
しかしコハクが何も言わなかったので、ヒスイは生まれつきの痣だと思い込んでいた。
呪術的な意味があるなどとは思いもしない。
「よく見せてみな」
ヒスイはしぶしぶカーネリアンに見せた。
カーネリアンはしばらくの間まじまじと紋様に見入っていたが、気が済んだらしくヒスイから離れて言った。
「・・・メノウに・・・」
「え?」
「アンタの父親に感謝するんだな」
「それ・・・どういう・・・」
「この紋様は・・・メノウでなければ刻めない。高度なうえ、リスクの高い紋様だ。何を代償にしたかは知らないが、寿命にすれば10年・・・いや20年は使ったか・・・」
「そんなっ!」
ヒスイは激しく動揺した。
「・・・お前は本当に幸せ者だな。これじゃあ、我々には・・・無理だ」
カーネリアンも落胆した声で言った。
「お父さん・・・私のせいで死んだの・・・?」
ヒスイは震える声でカーネリアンに尋ねた。
「たぶんそうじゃない。・・・そんなに青い顔すんなよ・・・」
カーネリアンはヒスイの手の縄を解いた。
そして近くの古臭い箪笥から子供用の服を取り出すとヒスイに手渡した。
「・・・だけど私も・・・そんな紋様ならいらないと思うだろうな。悪かった・・・。幸せ者だなんて言って」
「・・・・・・」
「アンタの意志じゃないんだ。これはメノウの意志。だからそれでアンタが責任を感じる事は・・・」
「・・・ありがとう」
「!!」
「話してくれて・・・ありがとう。カーネリアン」
ヒスイははっきりとそう言った。
「そんなことがあったなんて・・・知らないほうが罪だと思うの。お父さんのことも・・・実は何も覚えてなくて・・・ピンとこないんだ。だから今は素直に感謝することにする」
「アンタ・・・」
カーネリアンは目を細めてヒスイを見た。ヒスイはカーネリアンに笑いかけた。
「私の名前はね、ヒスイっていうの。よろしくね」
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