氷の剣を砕かれ、片膝をつくオニキスをコハクが見下ろしている。
コハクの剣も制御を失い、右手でぼうぼうと燃えている。
コハクは腕を焼かれる痛みに表情ひとつ変えずに口だけを動かした。
「・・・あなたに言っておくことがある」
「・・・なんだ」
二人とも無理矢理声を絞り出している。そんな感じだ。
「僕等はじき地上へ戻ってくる」
「・・・・・・」
「この世界のどこかに天界を支える柱があるのを知っていますか?」
「・・・伝承では聞いたことがある。世界の果てにあるという天の柱・・・」
「本当にあるんです」
「なん・・・だって・・・?」
「あなたもよく知っている、はざまの国です」
「王立図書博物館か・・・」
管理を預かる王族達でさえ、その全貌を知らない謎の建造物。
コハクは静かに微笑んだ。
「それを破壊するとどうなると思いますか?」
「・・・お前・・・何を考えて・・・」
「・・・砕かれた柱は聖なる雨となって地上に降り注ぎ、大地に溶け、一体となる。世界は浄化され、我々天使も地上で暮らせるようになる。そうなれば、天使達も悪魔と同じようにヒトと交わり、地上には人外の者が増えるでしょう」
「・・・・・・」
「そして、人間は知るんだ。世界は自分達だけのものではないと」
「・・・・・・」
我が物顔で世界を穢す人間達をオニキスは長い間見てきた。
「天界はこの真上に広がっています」
コハクは人差し指を立てて笑った。
「モルダバイトの上空に位置してるんですよね、実は」
「・・・子供の頃、羽根を拾ったことがある。金色に輝く羽根だ。モルダバイトでは時々そういうことがあった・・・」
「・・・それは僕かケルビムの羽根ですねぇ・・・たぶん」
「・・・・・・」
オニキスは夢を壊された気分だった。
(こんな奴の羽根を宝物にしていたのか・・・オレは・・・)
コハクは柔らかな表情で話を続けた。
「雨は世界中に降り注ぎますが、天使達はまずこの地に降りてくる。おそらくはあなたの国民が真っ先に変化に晒されることになる。あなたはそれを・・・許しますか?」
「・・・・・・」
「知らず知らずに国民は力をつける。それは他国にすれば脅威で、戦を招くことにもなりかねない」
「・・・・・・」
「それを避けたいなら、今ここで、僕を殺すしかない」
「・・・・・・」
オニキスは不死身に近い。このまま戦いを続ければ、いずれコハクが力尽きる。
何度剣を折られても生命力の勝負では勝っているのだ。
「僕は世界を変える」
コハクが言い切った。
「ヒスイのために・・・か」
「ええ、そうです。人ならざる者でも当然のように生きられる世界にするんです。この先の事も考えて」
「この先?」
「僕とヒスイの子供とか。そのまた子供とか。人目を忍んで生きるより太陽の元で育って欲しい。そう思うのは当然のことでしょう?」
「・・・そうなるまでには時間がかかるぞ。」
「そうですね。ざっと300年はかかりますね。それまでは種族間での諍いも絶えないことでしょう。だけどそのために僕等がいるんです。この国の王であるあなたも含めて・・・ね」
「・・・オレは“王”失格だ」
「?何故です?」
「ヒスイが死にかけたとき、国よりヒスイを選んだ。自分が死ぬとわかっていて血を与えた。オレが死んだ後の国のことなど考えもしなかった。オレにとっての“国”はその程度のものだったと言う訳だ」
「うわぁ・・・」
コハクは火傷をしていないほうの手で口を押さえた。
「何だ?」
「思考が暗い!!」
「・・・余計なお世話だ」
「どうしてこう僕のまわりは頭の堅いヤツばっかりなんだろうなぁ」
「・・・・・・」
「あの時・・・国を捨ててもいいと思うほど、ヒスイを愛していることに気付いた、って言えばいいのに」
オニキス風シリアス顔でコハクが言った。
それからにこっと笑って「つまりそれが幸せになるコツです」と続けた。
「・・・・・・・・・」
オニキスは言葉を失った。
コハクに対して、呆れているのか、感心しているのか、自分自身わからない。
「あなたがもしヒスイより国を選んでいたら、今頃僕に殺されてる」
「・・・そうだろうな」
「あまり重く考えないほうがいいですよ。仮にあの時あなたが命を落としていたとしても、シンジュがうまくやります。もともとあなた一人で国を背負っている訳ではないんですから、そんなに気負わなくてもいいんじゃないですか?」
「・・・オレが死んでもいいような口ぶりだな・・・」
「あぁ、そう聞こえちゃいました?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ふっ、とオニキスが笑った。
コハクも苦笑いをした。
天敵ではあるが、同士でもある。
オニキスは言った。
「先程の質問の答えだが」
「はい」
「お前のしようとしていることは神の領域だ。しかし、それが自然の摂理というものならば、大歓迎とまではいかないが受け入れる覚悟はできている」
『お前の言うように、世界は人間だけのものではないのだから』
「たいしたものよ・・・」
メノウVSサタン。
かなりのブランクがあるとはいえ、天才の名はダテではなかった。
「もっと楽しませてよ。まだまだこんなもんじゃないよ?」
サタンは人間の体を捨て、本来の姿に戻っている。
メノウは簡単にサタンをそこまで追いつめた。呼び出したシンジュと共に。
「・・・昔に比べると迷いがないのぅ。あの頃のお主は半分死にたがっていた故、戦い易かったのだが」
「そうだよ。生きる意味を見つけたんだ。もうあの頃とは違う。強いよ、オレは」
シンジュを従えたメノウが強気に笑った。
「魔界に帰るのと塵に還るのとどっちがいい?」
<セラフィムよ・・・>
(・・・甘かった・・・。メノウ様はもう“殺し”はしない)
コハクは何ともないという顔でオニキスの元を去ったが、疲労がピークに達していた。
そこにメノウの逃がしたサタンが現れる。
<お前がかつての六枚羽根ならば、誘ってやれたものを・・・>
<その頃の僕なら、堕天なんて考えもしない>
<まぁいい。お主はじき堕ちる>
<だろうね>
<・・・が、ここで無理矢理連れ帰るのも一興。弱ったお主をなぶり殺しにしたがる悪魔は腐るほどいるでのぅ>
人面獣心のサタンが天使の微笑みを浮かべる。
(・・・メノウさま・・・恨みますよ・・・。コイツ全然元気じゃないですか・・・。せめてもう少し削ってくれればいいものを・・・)
コハクは仕方なく剣を構えた。いつもの何倍も重く感じる。
<そろそろ・・・お引き取り願おうか>
「・・・疲れた・・・」
最初に降り立った廃屋まで戻り、コハクは仰向けになって倒れた。
自分で傷を治す気力もない。長時間地上に留まっていたせいで瘴気当たりまで併発している。
指一本動かすのさえつらかった。
(まずいなぁ・・・早く戻らないと・・・ヒスイが心配する・・・)
視界いっぱいに夕焼け空が広がっている。
心は焦るが、体が動かない。
「お疲れ様でした」
羽音をさせずにすうっとラリマーが上空から降りてきた。
「・・・サタン。仕留め損ねた」
「モルダバイト王は・・・」
「無事だ。全く問題ないよ」
「それで・・・どちらとやりあったんですか?」
「両方」
はぁ〜っ・・・。
ラリマーは呆れ返った顔で溜息をついた。
「それでは勝ち目はありませんね」
「・・・・・・」
コハクは仰向けのまま動かない。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
即答。
しかしどう見ても大丈夫ではない。
「そういうところは昔と変わりませんね」
「・・・・・・」
ラリマーはコハクの傍へ寄り、傷口に手を翳した。
「・・・ありがとう」
傷の治療を受け、体が少し楽になったコハクは上体を起こした。
「似合うよ、それ」
ラリマーは律儀にもイズに貰ったシャツとジーパンを着用していた。
「・・・どうも」
「僕はもう少しここに残るから、君は先に帰って」
「はい。お気をつけて・・・」
「・・・見ましたか?」
「うん・・・」
ヒスイはラリマーと共に地上に降りてきていた。そして少し離れた場所からじっと様子を見ていた。
「・・・お兄ちゃん・・・」
ヒスイは心配でたまらないという顔をしている。
(あんなお兄ちゃん初めて見る・・・。いつもこういうことしてたの?)
「・・・痛みを隠すことしかできない彼は、器用そうに見えて案外不器用なのかもしれませんよ?」
「・・・お兄ちゃんとこ、いきたい」
「今はだめです」
「だって!」
「戦いで傷ついた姿をあなたには見せたくないはずだ。そんなこともわからないのですか!」
ラリマーに怒られ、ヒスイは口を尖らせたまま黙った。
「・・・セラフィムを愛おしいと感じますか?」
「当たり前よ」
「ならば身も心もすべて捧げなさい。“花嫁”として」
「捧げてるわ」
「いいえ。まだ足りない」
「え・・・?」
「捧げられるものは全て捧げる・・・その覚悟はありますか?」
「もちろんよ」
なぜそんなにわかりきったことを聞くのか不思議に思いながらラリマーを見上げる。
「ならばこれを」
ラリマーから小さな瓶を受け取った。
「??」
「これをセラフィムの目の前で飲みなさい」
近くで誰が聞いているわけでもないのに、耳元でこそこそと中味の説明をする。
「・・・これは賭けです。絶対に勝てる賭け」
(こうでもしなければセラフィムは重い腰を上げない・・・)
ヒスイにコハクの弱った姿を見せるのが本当の狙いだった。
その為にあえて勝ち目のない戦いにコハクを向かわせた。
今日の“仕事”はすべてラリマーが仕組んだことだった。
ヒスイに本気で体を張らせる為に。
「お兄ちゃんの負担が少しでも軽くなるなら・・・私、やる!」
ラリマーの狙いどおり、ヒスイは決意に満ちた瞳で強く頷いた。
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