一方。音楽準備室には、トパーズがまだ残っていた。
ヒスイを抱いたあとの一服は格別なのだ。
煙草を吹かし、窓から夕焼け空を眺める、ひとときの休息・・・と、その時。
音楽準備室の扉が開き、数人の生徒が入ってきた。今度は吹奏楽部だ。
楽器の運び出しで室内は騒がしくなったが、不思議とすぐそこにいるトパーズに誰ひとりとして気付かない。
(見つかる?オレがそんなヘマするか)と、鼻で笑うトパーズ。
結界を張っているのだ。同じ景色を共有する別空間で、セックスをしている。
ヒスイに知らせないのは、面白いから、だ。
(“誰かに見つかるかもしれない”そう思わせていた方が、締まりがいいからな・・・クク・・・)
普通の人間に、この結界は破れない。
あの時、保健室にもこの結界を張っておいたのだ。
つまり、結界を破ったエンジェライトは人間ではないということ。思わぬところで、それが発覚した。
トパーズはエンジェライトの履歴書を手に持っていた。
理事長室にある書類を瞬時に取り寄せることなど造作ない。
そうして内容を確認すると・・・種族欄には、『人間』と記入してあった。
「種族詐称か、まあいい。職場で疑われることはまずない」
稀にいるのだ。神をも欺くステルス能力を持つ者が。
ただし。自分の正体を悟らせない代わりに、誰の正体も悟ることができない。
万能な能力とはいえないが、人間社会で生きるには便利な能力だ。
その能力をエンジェライトがフル活用した結果、互いに気付かず現在に至る。
「だが――」
トパーズは履歴書を指で弾いて言った。
「問題はそこじゃない。経歴の方だ」
こちら、エンジェライトとヒスイ。
「う・・・いたぁ・・・」
むくり、ヒスイが起き上った。おでこが赤くなっている。
「ヒスイさん、他に怪我はない?」
エンジェライトの手を借り、立ち上がった途端。
「あ・・・」
エンジェライトの目の前で、トパーズの精液が戻り出て・・・ヒスイの内腿を伝った。
これでは言い訳のしようがない。
「っ・・・!!」
耳まで赤くなったヒスイは、エンジェライトの脇を抜け、逃げた。
「ヒスイさん!?」
(トパーズは言えって言うけど、私は言いたくないっ!!)
エンジェライトに、相手を問い詰められるのは御免だ。
(別にいいもん!お仕置き、気持ちいいしっ!!)と。
ヒスイは本当に懲りない。今度は転ばないよう注意しながら走る。
階段、踊り場、階段、踊り場、それから渡り廊下・・・
エンジェライトは意外なほどガッツがあり、諦めずにヒスイを追ってきた。
「どうして・・・逃げるの?」と、エンジェライト。
さすがに息が切れている。
「エン先生が追っかけてくるから・・・でしょっ・・・!!」
ヒスイももう、限界だ。
そこで。エンジェライトがある賭けに出た。
先日、サンドイッチを頬張るヒスイを見て、気付いたことがあるのだ。
(一か八か・・・)
「保健室に野菜スティックがあるんだけど、食べに来ない?」
「え?野菜・・・スティック???」
「胡瓜と人参と大根と・・・キャベツもある。野菜、好きだよね?」
「うん」逃げるのを止め、振り向くヒスイ。
「実家が農家なんだ。新鮮な野菜が毎週送られてくるから」
オーガニック農法で、有名なレストランにも多く卸しているという自慢の野菜だ。
「トマトもすごく甘いよ。果物みたいに。保健室に来てくれたら、いくらでもご馳走できるんだけど・・・」
「行く」ヒスイは即答。菜食主義全開だ。目が輝いている。
ヒスイはエンジェライトに連れられ、保健室へと向かった。
(エン先生・・・おいしそう・・・)
“農家の息子”という魅力的なステータスが追加された。
エンジェライト=無農薬野菜。ヒスイの脳内で直結。
すると、エンジェライトの頭部がシャキシャキのレタスに見えてきた。
そして、保健室。
「はい、どうぞ」
「いただきます」
エンジェライトはヒスイに野菜を与えると、ベッドを椅子代わりに、並んで腰掛けた。
「君は学校にセックスをしに来ているの?」
人参を齧っているヒスイに、少々厳しく言ってみる、が。
「うん」と、ヒスイ。嘘ではない。
「・・・・・・」(重症だ・・・)
更生の道が・・・全く見えない。
「・・・・・・」(ゆっくり時間をかけて向き合っていこう。こういうことは焦っちゃいけない)
エンジェライトは気を取り直し、呼吸を整えた。
「避妊はちゃんとしてる?」
「避妊?してないよ?」
ヒスイは目をぱちくり。一方エンジェライトは溜息で。
「その時の快楽に流されて、避妊を疎かにすると、あとで困るのは君の方なんだよ」
どこか悲しげにヒスイを見つめる。
「はぁ???」
ヒスイの瞬きは増えるばかりだ。
「横になって。一応妊娠検査をしておこう。避妊の仕方は後でちゃんと教えるから」
これも保健医の努め。女子校なら尚更、身体を守る方法をきちんと伝えてやらねば。
エンジェライトの心に熱い感情が芽生える。久しく忘れていた教育魂だ。
ヒスイをベッドに寝かせ、お腹にタオルを掛け。
「特技なんだ」と、エンジェライト。
ヒスイのお腹に両手を翳す。宿りし命の感知。着床していればわかるらしい。
「わ・・・なに・・・」
遠赤外線効果のように、お腹がぽかぽかしてきた。
(なんだか眠たくなってきちゃった・・・かも・・・)
ヒスイがうとうとし始めたところで、スッと熱が引き。
「・・・落ち着いて聞いて」
エンジェライトが口を開いた。
「君、妊娠しているみたいだよ」
「え?あ、うん」
「驚かないの?」
「うん、初めてじゃないし」
ヒスイのその一言が、エンジェライトの勘違いを一段と加速させた。
「!!!!!」(妊娠が初めてじゃない!?まさか中絶・・・)
ヒスイに出産経験がある、という考えには至らない。
(この子、一体どういう性生活を・・・)
考えれば考えるほどわからなくなってきた・・・が。
(大人の僕がしっかりしなきゃ。支えるんだ、この子を)と、自身を立て直す。
「つかぬことを聞くけど・・・ご両親は・・・」
「ん〜と、お母さんは死んじゃって、お父さんは仕事忙しくてなかなか家に帰ってこないから、今は・・・」
息子と一緒に住んでいる〜という話をするより早く、エンジェライトの妄想が暴走する。
(やっぱり、複雑な家庭環境なのか・・・)と、また勝手に誤解し、ひどく胸を痛めた。
絶対に、放ってはおけない。より親身になりたいと、心から思う。
「子供の父親は・・・」
その質問には頑として答えないヒスイ。聞き出すのは無理と判断し、エンジェライトは言った。
「(中絶を)早まっちゃいけないよ。いくらでも相談に乗るから」
「???」(早まる?何を?)またもや意味不明だ。
しかし、野菜は絶品で。ヒスイは長いこと保健室に入り浸っていた。
下校時刻はとうに過ぎ、生徒は皆帰宅した。
ヒスイは昇降口でトパーズが来るのを待っていた。
今日は割と早く仕事が片付くと聞いたので、一緒に帰る約束をしたのだ。
(あ!トパーズだ!)
ネクタイを緩めながら階段を下りてくるトパーズの元へ、嬉しそうに駆け寄るヒスイ。
真っ先に、報告したいことがある。
「トパーズ、あのね・・・」
ヒスイは照れ臭そうにトパーズのシャツを引っ張った。
これは甘える時の癖だが、ヒスイにしてはしおらしく。
ロマンスの気配を漂わせている。
何か可愛いことを言いそうだ、と、直感したトパーズは、あくまでクールな表情を崩さず、ヒスイを急かした。
「何だ、早く言え」
「うん、あのね・・・」
エン先生のお家って、農業やってるんだって!
「保健室に採れたての野菜がいっぱいあってね!すっごく美味しいの!」と、ヒスイ。
「・・・・・・」
(野菜が美味い?それがどうした)と、トパーズ。
ぬか喜びしてしまった。ヒスイはやっぱりどこか憎たらしい。
「ほう?それで?」と、言いながら、アイアンクローの刑に処す、が。
「あ!そうそう!なんか妊娠しちゃって」
思い出したようにヒスイが言った。
「・・・誰がだ?」手を離し、確認するトパーズ。するとヒスイは。
「私が」と、自身を指し、話を続けた。
「それでね、今後について、エン先生が色々相談に乗ってくれるって言って・・・」
「・・・・・・」(このバカ・・・)
相談する相手を明らかに間違っている。
「そういうことは最初に言え、バカめ」
そうなじりつつも、自分の子供を宿したヒスイを益々愛おしく思う。
ところがそこで。話が野菜に戻り。ヒスイの爆弾発言。
「今度のお休みにね、エン先生のお家に行くの!じゃがいもいっぱい貰ってくるから、ポテトサラダ作って!」
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