地獄のWC。その一室を占拠しているのは、通話を終了したコハクである。
ヒスイに話したことは嘘ではなく、ペニスはそそり立ち、ジストにも劣らない濡れ具合を見せていた。
普通なら、射精してスッキリするところだが。
ヒスイの存在を感じられないと、萎える体質だ。
コハクはペニスの汚れを拭き取り、ズボンの中へ戻した。
洗面所でよく手を洗ってから、「お待たせ」と、笑顔で外に出る。


「遅いぞ!!」
苛立ちの声で迎えたのはシトリンだ。両腕を組み・・・待ちくたびれていた。
「ここまでついて来なくても良かったのに」
苦笑するコハク。
川向こうはサルファーひとりに任せ、強引に同行してきた。
シトリンは・・・どうしても地獄巡りがしたかったのだ。


廃屋と枯れ木ばかりの、荒れ果てた街並み。
無数に浮遊する人魂らしきものが、街灯の代わりとなっている。
「これが地獄の町とやらか」
息を呑むシトリン。だが、隣のコハクは笑って。
「地獄のイメージを損なわない外観にしているだけなんだよ」
「!!お、おい、どこへ・・・」
躊躇いもせず、崩れかかった廃墟へと踏み込んでいった。
「おわっ!!なんだここは・・・」
後に続くシトリンが驚嘆する。
一転して、そこは風流な甘味処だったのだ。



そして、現在。店内には数名の客がいた。
「あの中に、アンデット商会の幹部がいるというのか?」
廊下の曲り角から、シトリンが様子を窺う。
アンデット商会の社員は、どこかに必ず社員バッジを着けている。
かつて身を置いたことのあるコハクならば、見つけ出すことは容易い。
コハクは、一番奥の座敷で正座をしている人物に声を掛けた。
「失礼。アンデット商会の方ですか?」
「如何にも」
返事をしたのは・・・地上で噂の“仮面の男”。
ここでは仮面を半分ずらし、素顔を覗かせていた。頬に蝙蝠のタトゥーがある。
男は立ち上がり、言った。
「こんなところでお会いできるとは、実に奇遇です。セラフィム」
「君は・・・どこかで・・・」
「貴方に首を刎ねられ、煉獄の炎で焼かれた罪人でございます」
自己紹介の後、男は胸に手を当て、深く一礼し。
「・・・・・・」(そういえば・・・)
コハクもすぐに思い出した。
その昔、神に忌み嫌われた極悪人。その名は、スモーキー。
(死んだ方がマシだと思えるくらいの裁きを下したはずなんだけど・・・アンデット商会の幹部になっているとはね)
見事な社会復帰ぶりだ。
「こいつの首を刎ねたというのは、本当の話なのか?」
スモーキーを指差し、瞬きするシトリン。若干、引き気味だ。
「うん、まあ」バツが悪そうに、コハクが頷く。
家族には知られたくない、黒歴史。
その証人ともいえる男と交渉するとしたら。
(これは・・・思った以上に面倒なことになりそうだなぁ・・・)




こちら、地上の夜明け。

「おはよっ!ヒスイ!」
「お、おはよ・・・ジスト」

「・・・・・・」
「・・・・・・」

リビングで挨拶を交わし、両者、再び赤面。ぎくしゃくした空気の中。
「あ、卵温めるの交代するよ」と、ヒスイ。
「平気!平気!これ結構重いしっ!ヒスイじゃ大変・・・」
ジストが言うと、ヒスイは笑って。
「男の子のお腹が、そんなに膨らんでちゃ、おかしいでしょ?外に出る時は私に任せて」
そう――2人は、国境の家へ向かおうとしていた。
卵を孵化させる方法をオニキスに教わるためだ。
移動は無論、裏庭の魔法陣を使う。
支度を済ませ、2人は裏口から外へ出た。


「転ばないように気を付けてねっ!」
ひたすらヒスイを気遣うジスト。手を取り、魔法陣までゆっくり歩く。
「元気な仔が産まれますように」
途中、服の上から卵を撫で、思わず頬ずり。気分はすっかりパパだ。
(なんかオレ達の子供が産まれるみたい・・・って、オレ何考えて・・・)
自身の大胆な妄想に、また赤くなる。
大切に、2人で温めた卵だ。すっかり情が移っていた。



国境の家、玄関にて。

「おはよ!オニキス!」
「・・・ああ」
ヒスイの妊婦スタイルに目を疑うオニキス。
取り乱しはしないが、何と言葉をかけるべきか迷っている様子だ。そこで。
「あっ!これ卵だからっ!!」
ジストが慌てて説明した。ちょうどその時。
「くすくす、ママもジストも中入ったら?紅茶淹れるよ」
廊下の奥からスピネルの声が聞こえ。
「うんっ!!」
嬉々として、ヒスイが走り出す。
「あっ・・・!ヒスイっ!!走ったら危な・・・うわっ!!!」
言ったジストの足が縺れて、転ぶ。
いつもは静かな家だが、今朝はずいぶん賑やかだ。


「これなんだけど」
ティータイムを終えると、ヒスイはマタニティドレスの下から卵を取り出し、テーブルの中心に置いた。
転がらないよう、ジストがしっかり支えている。
「何の卵なの?」と、スピネル。もっともな質問だ。すると。



「「竜の卵なんだってっ!」」



ジストとヒスイが声を揃えて答える。
「竜?珍しいね」
人と共存できる竜は極端に数が少ない。それこそ一国に数頭くらいの割合でしか出会えないのだ。
どういう経緯で入手したものなのか、謎が深まる。
「あーくんが、城下で“竜騎士セット”買ってきたの」と、ヒスイ。
竜の卵に騎士用ランスが同梱されているものだ。
マーキュリーは屋敷の地下倉庫で武器を見つけたが、アイボリーはピンとくるものがなかったため、城下まで足を延ばし、手に入れてきたのだという。
「お兄ちゃんがね、温めるだけじゃだめかもしれないから、オニキスに聞いてごらん、って・・・」
どうすればいいのな?と、ヒスイは期待に満ちた目でオニキスを見上げている。
「・・・オレに聞け、と、コハクがそう言ったのか」
「うんっ!」
「・・・・・・」
(オレに言わせるつもりか・・・)
真実を告げれば、ヒスイが落胆するのは目に見えている。損な役回りだ。
先に勘付いたコハクに、押し付けられたとしか思えない。
オニキスは深い溜息の後・・・
「これは・・・卵ではない」
「え?」



「・・・ただの石だ」



「そんな・・・だってちゃんと証明書だって・・・」
ヒスイは一枚の紙をオニキスに手渡した。
「ほらっ!!アンデット商会製なんだから!!」
アンデット商会は、今や一流ブランドなのだ。昔のような、リスクを伴う商売はしていない。
世界から信用を得るメーカーとなっていた。
「・・・よく綴りを見てみろ」と、オニキス。
「んっ???」
ヒスイは証明書に顔を近付け、何度か黙読を繰り返した。そして・・・
「あ」やっと気付く。
証明者であるはずの、“アンデット商会”の署名が・・・“アンテッド商会”になっている。
つまり・・・偽ブランド。紛い物だ。
「じゃあ、これ・・・ホントにただの石・・・なの?」
「ああ・・・そうだ」



どんなに温めたところで・・・孵る日は、来ない。







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